映画「伊藤千代子の生涯」(仮)への期待
  ──製作・上映運動の展開──長崎県

同盟活動 上田 精一

〝九州の心はひとつ〟 を誓い合った九州・沖縄ブロック集会

 昨年の九州・沖縄ブロック集会は、沖縄で開催された。地元実行委員会(村山純委員長)は「九州の心はひとつ」と 記したネームカード(写真)を準備して我々九州各県の参加者を迎えてくれた。

 「不屈館」館長、内村千尋さん(瀬長亀次郎二女)の講演に始まり、二日目の辺野古では漁船「平和丸」に 乗り込んでの抗議行動などと二日間の充実した活動を通じて、〝九州の心はひとつ〟を実感した集会であった。

 集会の中でも訴えのあった映画『伊藤千代子の生涯』(仮題)の製作協力運動にこの〝九州の心はひとつ〟の思いを 生かすべきだと考えた私は、一九八六年創立の九州沖縄平和教育研究協議会(九平研)の「九平研通信」への投稿を思いつき、 以下のような文章を寄せた。本誌読者の皆さんは熟知の内容だと思うが、引用することをお許しただきたい。

 「九平研通信」(119号)への寄稿文は「現代を撃つ凄烈なヒューマンドラマへの期待」のタイトルで次のような内容であった。

 こころざしつつたふれし少女(おとめ)よ
  新しき光の中に置きて思はむ

 稀代の悪法「治安維持法」による逮捕、投獄、拷問にも屈せず、新しい光(社会)の実現を求めて闘い抜き、わずか二十四歳という若さで死へと追いやられた教え子の 伊藤千代子(1905〜1929)を悼んで土屋文明(つちや ぶんめい )が詠んだ六首の中の一首である。文明は近現代の代表的歌人ですぐれた万葉学者でもある。

 長野県諏訪高等女学校の生徒だった千代子は、同校教師文明の「教育は男女の差があってはならない。(学校は)人間教育の場である」という当時にあっては 先駆的な教育方針のもと豊かな感受性とひたむきな生き方、ヒューマニズムを開花させ、社会の諸矛盾との闘いに身を投じていく。

 1925(大正14)年、東京女子大学に入学した千代子は、社会科学研究会で活動。男女平等、今まさに今日的課題であるジェンダー平等への思想に接近し、 性差や女性の自立、目覚めを訴えつつ戦争に反対し、主権在民の社会実現のために献身的に活動する。なかでも、長野県岡谷の製糸業界最大の争議 「山一林組(やまいちはやしぐみ)争議」の支援、初の普通選挙を闘う同郷の藤森成吉の支援活動にも全力で関わる。

 1928(昭和3)年、日本共産党員と活動家ら全国1600人を超える人々を根こそぎ検挙した三・一五事件。 その直前の二月末に入党したばかりの千代子も検挙され、東京・市ヶ谷刑務所に収監。しかし千代子は特高らの執拗な拷問と夫・浅野晃の転向上申書を見せつけられても屈しなかった。

  獄中にあっても独習を重ね、同志の動向を常に掌握し、健気に励まし続けたが、拘禁精神症を発し、執行停止のまま東京府立松澤病院に収容され、急性肺炎にて無念の死を遂げる。 まさに獄死同然の最期であった。

 このたび、この伊藤千代子を主人公にした映画『伊藤千代子の生涯』(仮題)が製作される運びとなった。映画は、千代子の凄烈で不屈な生きざま、戦争に反対し、 主権在民の社会実現のために献身するという崇高な行為が戦後の平和憲法に見事に結実していったことを感動のドラマの数々(実話)を生かして描き、 今に生きる青年たちとの共感共鳴、閉塞した現代を撃つ力にしていくことを目指している。

 原作は治安維持法国賠同盟中央本部顧問で名著『小林多喜二とその盟友たち』(学習の友社)の著書を持つ千代子と同郷の藤田廣登さんの『時代の証言者 伊藤千代子』(同前)である。

 プロデューサー・総監督は、山本薩夫・今井正監督らの流れをくむ、いわゆる社会派監督の桂壮三郎さんだ。これまでに平和・人権をテーマにした数々の秀作を世に問うてきた。 長編アニメーション映画では『五等になりたい』(95年)、『地球が動いた日』(97年)、『ハッピーバースデー 命かがやく瞬間(とき)』(97年)、 『もも子、かえるの歌が聞こえるよ』(03年)、『ガラスのうさぎ』(05年)、『大ちゃん、だいすき。』(07年)、劇映画では『アンダンテ 稲の旋律』(10年)、 『ひまわり 沖縄は忘れない あの日の空を』(13年)、『校庭に東風(こち)吹いて』(16年)などのプロデュース作品がある。 これらの作品は、それぞれに各種の賞を受賞し、多くの観客を集めてきた。

 今、コロナ禍は国内ではやや下火になったとはいえ、危険な状態は依然として続いている。そうでなくとも独立プロの製作費の調達は厳しい。

 そんな中、製作支援の輪を拡げようと、私が所属する治安維持法国賠同盟長崎県本部および長崎、大村、諌早、佐世保、島原各支部で、一口(十万円)計五口を まず達成しようと申し合わせ、取り組みを始めた。

 さらに完成した作品をより良い上映条件で上映できるよう長崎県映画センターに上映協力を求め、「製作と上映を進める長崎県民の会」(仮称)を立ち上げる話し合いを進めている。

 千代子を姉のごとく師のごとく慕いつつ獄を共にした東京女子大の後輩・塩沢富美子(下田、のちの野呂栄太郎夫人)の歌二首を揚げて本稿を結びたい。

  きみによりはじめて学びし「資本論」
    わが十八の春はけはしく
  花の下に佇みてわが名呼ぶ
    伊藤千代子を獄窓より見しが最後になりぬ

  (九平研副会長)

九平研事務局長燃える

 九平研事務局長は、神﨑英一さん(養護学校教諭)である。彼は拙文を「九平研通信」に載せるための入力作業のなかで、 〟この製作運動に協力することこそ九平研活動そのものではないか〟と思ったという。私は若い神﨑さんがこの運動に敏感に反応してくれたことがうれしかった。

 さらに数日後に神﨑さんから長文のメールが入った。要旨はこうだ。
 「先日紹介いただいた原作を購読し、未知であった伊藤千代子の生涯にいたく感動しました。百年も前に平和と民主主義のためにいのちを捧げた女性だったのですね。 彼女を取り巻く人びともすごい。東京女子大の学長さんにも惚れ惚れしました。三役の皆さんの承諾を得て、この内容ならいける、いや映画化を成功させねばならぬと思いました。 九平研予算より十万円をカンパし、上映債権を得たいと思いますが如何でしょうか。さらに私自身も国賠同盟に加入し、鹿児島支部の一員として一口十万円の出資に力を尽くしたいという思いに至っております」。

 「九平研通信」に投稿した拙文が若い教師を動かした。こんなうれしいメールは久々だ。

 「出資しても映画ができないときはどうするのか。出資した人々にどう説明するのか」「今、どれくらい集まっているのか。全国の動きが見えない」など疑問や不安の声が私の耳にも入ってくる。 そんななか、この神﨑さんの仲間を信じきった平和運動への前向きな行動力が限りなくうれしい。

長崎県国賠同盟はいま

 国賠同盟長崎県本部の取組は実に地味な取り組みだ。一人千円のカンパをいただく人を各支部一〇〇人、合わせて五〇〇人の達成をというものだ。 製作協力券(写真)には次のような添え書きがある。「映画完成後はこの券で観ることもできます」と。私たちはこの取り組みスタイルを「長崎方式」と称している。 県内各支部の同盟員は、この手作りの「映画製作カンパ券」を持って、一人ひとりに〝今なぜ伊藤千代子の映画づくりなのか〟を説きつつ協力を訴えて歩いている。 年内には各支部とも目標達成の見込みだ

よりよい上映条件で観るために

 すぐれた映画の配給・普及を活動の主力としている全国組織に「映画センター全国連絡会議」がある。私も一九七七年に加盟以来一貫して関わってきた組織である。 今度、伊藤千代子の映画製作の総監督の桂壮三郎氏がプロデュースした作品の殆んどもこの映画センターによって全国にひろがった。 残念ながら空白県も多いが、幸いわが長崎には「長崎県映画センター」(今村洋一理事長)が健在である。

  私は完成した映画をよりよい上映条件で上映できるようこの長崎県映画センターに上映協力を求めて森満樹子事務局長に相談した。 製作支援だけでなく上映までも視野に入れた運動にするために、「映画『伊藤千代子の生涯』の製作と上映を成功させる長崎県民の会」(仮称)を結成するという方針を導きだした。その概要は次のとおりである

❖長崎県内の取り組み案❖
  • (1)【映画「伊藤千代子」の製作と上映を成功させる県民の会(仮称)】を結成する
    • ①構成団体・構成者を検討する→市民連合のイメージ
    • ②製作から上映までの運動を牽引する団体、協力する団体構想  国賠同盟、国民救援会、長崎県映画センターなどを中心に平和、民主、女性、法曹会など多様な団体へくまなく呼びかける。
  • (2)100万円を集めて製作を支援し、完成後に5市での上映運動をめざす  
    • ①50万円を製作支援金にする →5回分の上映権を得る
    • ②50万円を完成後の上映経費に充てる →長崎、佐世保、諫早、大村、島原
    • ③会場での総鑑賞者数は1500名を目標とする。
    • 製作支援者1000名(枚)  完成後の上映会に向けて前売り券(1200円)を広げる
  • (3)スケジュール
    • 2020年夏 「成功させる会」準備会 (国賠同盟は独自に支援カンパ1000円の普及に取り組む)
    • 2020年秋 「成功させる会」発足。支援金を募る
    •  製作運動期
    • 2021年秋 撮影開始→クランクアップ→
    • 2021年  完成
    •  上映運動期
    • 2022年春 劇場公開・地域上映開始
県本部大会に「時の人」を迎えて

 同盟県本部は今年三〇周年の節目の年を迎えている。コロナ禍のさなか、開催について理事会にて慎重審議の末、一〇月四日(日)に決行を決定した。

 力武晴紀県本部事務局長は、「不屈」長崎県版にこう綴る。
 「……大会のスタートは時の人、藤田廣登氏の記念講演。 中央本部で「不屈」や『治安維持法と現代』の執筆と編集、『獄死者』など犠牲者の記録集作成の中心にいるだけでなく、 多喜二、山宣の会の仕事の他、多くの著作も。そして5年前、無名のわが県の末永敏事を発掘してその崇高な生き様を始めて全国に知らせた人、 さらに目下同盟挙げて製作・上映運動をしている映画『伊藤千代子の生涯』の原作者。わが記念大会の記念行事に最適、最高の人物を迎えることができたのは素晴らしい幸運です。」
 力武さんの意気込みとよろこびが伝わってくる。

 この節目の大会で製作と上映を成功させる「長崎県民の会」の結成の主力となることを誓いあいたいものである

膨らむ映画づくりの夢

 九平研の神﨑さんは、原作を読み東京女子大の安井てつ学長にいたく感動している。私も同感だ。〝安井てつ役には、○○○○〇さんをぜひ〟 と桂総監督に早い時期から伝えているほどだ。核廃絶を訴え続けているこの女優さんこそ凛とした安井てつにぴったりとくり返す私に桂さんは、〝なるほど同感です〟努力してみます、と応じてくれた。原作者の藤田さんも〝いやぁこの人が受けてくれたら最高だなぁ。格調が高くなる〟と笑顔いっぱいだ。

 〝平和と人権をテーマにした映画づくりは今の時代だからこそ大切です。私も協力します〟とカンパ券を二〇枚も預かってくれたのは、孫娘が中学時代に担任だった四〇代の女先生だ。
 運動の輪は拡がる。映画づくりの夢は膨らむ。〝八〇代青年〟の血が滾(たぎ)る。楽しきかな、映画製作と上映運動!
(うえだ せいいち・長崎県島原支部事務局長)

【筆者紹介】熊本県人吉市で中学教師のかたわら「多喜二に学び語る集い」の事務局長を三〇年間務める。国賠同盟人吉球磨支部を起ち上げ事務局長。 映画センター熊本県連絡会議議長、人吉映画センター代表などを歴任。二〇一八年、難病(要介護5)の夫人を介護するため二女の嫁ぎ先の離れに転居。 その一年後には同盟島原支部を近藤一宇(日本共産党南島原市議)の全面協力を得て結成、事務局長に就任。同盟県本部理事、長崎県映画センター理事などを務める(藤田廣登)


このページの記事 原典:「治安維持法と現代」2020秋季号No.40

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